
救道者の姿勢を待ち、正しい道をゆくのです。わが事のみの利益は放下して、菩薩の悲願に生きるのです。

観世音菩薩は曾て多くの仏陀のおそばにて聞法をし、修行を重ねて大悲の誓願を立てられました。爾来、応現の身を粉にしてお働きのことです。大悲の仏を仰ぎます。

観音様は男女の相を超越してはおりますが、子を憶う母の慈愛に鑑みて、思いやりは母心の深さにたとえられるでしょう。母ならばあなたの辛さをわがこととして受け止めてくれるはずです。

手を合わせる美しい作法は人間尊重の表現と思います。まして貴賎の差別をしない人こそ、菩薩の行いに外なりません。

さわやかに清しく生きてこそ悔いは残りません。心地を澄まし、一刻も一年も過ごしたいと念じます。

そよ風が立つように、その中に居るだけでお互いが幸せになれるような徳分を具えたいものです。陰ながら善い行いを重ねてください。

年齢のどの時点もかけがえのない尊いことなのですから、若さを奢らず老いを嘆かず、夫々の生き方を深めることこそ肝要です。

花は半開を看るを良しとする言葉があります。しずかに清香を開き、身心を整えれば、おのずと清廉のひとになれるでしょう。

秋ならばコスモス遍路で。春ならば菜の花遍路と感じます。回向返照の月日を享けての旅路です。

鯉素とは手紙の意味ですが、若しひとが煩悩海中に沈まんとする折りにも、一心に助けを求めれば、観音経に曰う如く 水難火難も免れるはずです。

濁りなき心の水に澄む月は 波もくだけて光とぞなる『道元禅師 傘松道詠』 月の出を待ち月に祈るうちに心が鎮まることでしょう。