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智満寺 由来と歴史 曹洞宗 智満寺 河根法窟・川根大佛 曹洞宗 智満寺公式ウェブサイト
智満寺 由来と歴史 曹洞宗 智満寺 河根法窟・川根大佛

智満寺の本尊

八相釈迦牟尼如来(平成の本尊さま=仏師・成田成畔作)
宝冠釈迦牟尼如来(曹洞宗開創時代の本尊さま)
千手観世音菩薩(天台宗開創時代の本尊さま)
厄除延命地蔵菩薩(千佛堂の本尊)

曹洞宗の本山

福井県永平寺(開山 高祖承陽大師道元禅師)
神奈川県總持寺(開山 太祖常済大師瑩山禅師)

智満寺の由緒

当寺は、今から1000年余年前の平安時代(藤原後期)に草創され千手観音菩薩像を御本尊とし、山号を千葉山と云い、寺号を智満寺と称した。一説には、島田市の智満寺の末寺として奥大井に天台教学の拠点として開かれたとの口伝がある。その後、延徳3年(1491)に駿河国・洞慶院より回夫慶文禅師を迎え曹洞宗に改宗開山された。河根法窟と云われ回夫派の派頭寺院として、江戸時代末期までは門葉100ケ寺に及ぶ禅宗の修行道場であった。 町の中心地の山裾に5000坪の境内を有し、樹木に囲まれた静寂な環境の中に七堂伽藍を備えている。延享2年(1745)の大火により焼失したが、第13世一音法牛禅師により伽藍が再建され、以降に増改築をかさね今日に至っている。 町の文化財に指定されている千手観音菩薩(平安時代の作)・阿弥陀如来座像(藤原時代の作)・山門(江戸時代中期)をはじめ、川根大佛(釈尊座像)・心の三十三観音・厄除延命地蔵菩薩座像(江戸時代初期の作)・釈尊涅槃像・絵天井、インド釈尊聖地踏土(涅槃堂)・お茶地蔵尊・わらじ観音(幸福観音)など、多くの仏像や日本画を拝観することができる。 「信州猫檀家」・「火防大師一音さま」の伝説がある。

信州猫檀家

二世 伝浮宗芸(でんぷそうげい)大和尚さまむかし、応仁の乱が終わって、10数年たった明応(1492年から1500年)のころ、上長尾の智満寺の宗芸和尚さんという方が、1匹の猫を飼っておりました。
そのころ、この地方が飢饉にみまわれ、人々の食料がとぼしくなってきていましたので、ある日、和尚さんは猫に向かって、
「人間でさえ、食べ物がなくて困っている。本当に気の毒だが、このままではみんなの手前、食べ物をやることもできなくなりそうだ。今のうちに、どこか食べ物のあるところへ行きなさい。」
というと、和尚さんの顔をじっと見ていた猫は、うなずいて、
「和尚さん、長い間かわいがっていただいてありがとうございました。この御恩は一生忘れません。いつか必ず恩返しをします。」
それから何年かたったころ、信濃国大河原村(現在の長野県下伊那郡大鹿村)では名主の娘さんが亡くなり、そのお葬式をしておりましたが、その時、突然、空から黒い雲が降りてきて、あらよあれよという間に娘さんの棺をつつみこみ、また空に昇っていきました。
すると、棺の中は不思議なことにからっぽで、娘さんは煙のように消えて無くなり、お葬式は大騒ぎになってしまいました。
その時、どこからともなくあの智満寺にいた猫が現れ、
「娘さんを取り戻すには、遠江国山香庄の河根というところに智満寺というお寺がありますが、そこの和尚さまにお願いするしか方法はありません。この和尚さまは、人並みすぐれて修行をつんだ、たいへん徳の高い情け深いお人で、お願いすれば、必ず娘さんを取り戻してくださいます。皆さん、迷っている場合ではありません。」
と、それだけ言うと、その場から立ち去っていきました。
名主さんたちは、すぐに智満寺にきて和尚さんにお願いし、休む間もなく大河原村に案内しました。大鹿村 香松寺本堂 和尚さんは無言で祭壇の前に進み、正面に着座すると静かにお経を唱えはじめました。その声は、次第に高まってすみずみまでよく伝わり、すると不安だった人々の気持ちもだんだん安らいできました。
どのくらい時間がたったのでしょうか。ふたたびもとの静けさに戻るように、お経が終わりました。すると、不思議なことに娘さんの亡骸は、もとの姿のままで安らかに棺の中に戻っていたそうです。
そういうことがあって、大河原村の香松寺は、その時から智満寺の末寺になったそうです。
香松寺には『香松寺記』という記録がありますが、それを見ると、かんたんに宗芸和尚さまを『中興の開山』と記してあり、この出来事が文亀元年(1501年)であったということです。 この時から、かれこれ500年近くもの長い間、上長尾の智満寺と信州の香松寺との交わりが続いているとのことです。

一音さん

上長尾にある千葉山智満寺は、今から約270年ほど前(延享3年・1745年)の、第13代一音法牛大和尚様の時に、庚申祭りの夜の火事で全焼してしまったそうです。 寺山から巨木を切り出したりして、10年間もお寺の再建にご苦労された一音法牛大和尚様は、ご入寂の床で、
「世の中で火事ほど、おそろしくかなしいものはない。私を村中が見える一番高い所へ葬って下さい。そうすれば、村中から火事が出ないように見守ってやります。」
と遺言を残されました。村人たちは、遺言どおりに、村中がよく見える高い所へ、手あつく葬りました。
それからというもの、二百数十年たっても、村には、一件の火事も起きません。
一音法牛大和尚の徳を慕う村人たちは、毎年、八十八夜の日に、「一音さん、一音さん。」と呼びながら、盛大な法要を行っています。
また村人たちは、家々のかまどに、一音和尚様を祭り、朝な夕な敬慕して、火の守り神様として信仰しています。
お墓のそばに、和尚さんが使っていた杖を、さかさにして立てておきました。
すると、杖から根が出て、ぐんぐん大きくなりました。
今、お墓のそばにある木がその杖だと伝えられています。
それは『榊』の木で、不思議なことに枝がみな下向きにしげっています。

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